新橋人形の館 館主の日記

燃えサントラ&泣きロック酒場 BAR 新橋人形の館 館主の日記です。

緊急事態宣言、サインランゲージは『Choke チョーク!』 

息ができないせいで、首の静脈が浮く。顔が赤くなる。熱くなる。額に汗が噴き出す。 シャツの背中に汗の染みが点々とにじむ。両手で喉をしっかりとつかむ。

    窒息死しかけていることを表す人類共通のサインランゲージ

 

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「チョーク!」チャック・パラニューク 著/池田真紀 訳 

 彼を『生んだ』母親は、自分が思い描いた何者にもなれないまま人生の終わりに向かっていく日々の鬱屈に耐えられず、不満だらけの社会に反抗し批判し唾を吐きかけ、人騒がせで身勝手で傍迷惑なイタズラ行為を闘いと名付け、繰り返し収容された刑務所から出てくるたび、社会の目から隠れるために必ず里親の元から幼い息子を誘拐、一日中あてどもなく車を走らせて、渋滞を見つけてはその行列に身を隠し、夜ごとモーテルを渡り歩き、食事はすべてファストフード。

  「生まれてこのかた、僕は母の子どもというより母の人質だった」

 

  そんなある日の昼下がり、幼い息子は好物のコーンドッグを冷めないうちに食おうと、慌てて熱々のコーンドッグを丸ごと飲み込み、喉を詰まらせ窒息した。

 おそらく窒息第Ⅰ期、数秒~数十秒の時間だろう。窒息したまま一分以上経ったら意識を失い仮死状態になってしまう。その数十秒間、出所後あてどもなく少年を車で連れ回して、この田舎のアメリカ式安レストランに辿り着いた母親をはじめ、そこに偶然居合わせた全員が、この間抜けな少年に注目した。

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 『生んだ』母親や里親に教えを乞わずとも、この“間抜けな少年”にも生まれつききちんと備わっていた窒息死寸前のボディ・ランゲージ

 この人類共通のサインランゲージは、何処とも知れぬ田舎の安レストランで、中年のウエイトレス、初老のセールスマン、長距離トラックの運転手とヒッチハイカー、そして出所したてのホッカホカな母親、等々、居合わせた老若男女全員に通じたのである!

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  映画「セックス・クラブ2008年/

             原作 チャック・パラニューク「Choke!

 母親に背中から抱きかかえられ、喉に栓をしていたコーンドッグの塊をポンと吐き出し、「ヒイィッ!」と息を吸い込み窒息第Ⅰ期から回復した少年は、思い切り泣いた。

レストランに居合わせた全員が、少年の周りに集まり、少年を抱きしめ、少年の髪をなで、誰もが「大丈夫か」と尋ねた。

 “間抜けな少年”には、全世界が自分の身に起きたことを気遣っているように思えた。その瞬間は永遠に続くように思えた。愛を得るためには命を危険にさらさなければならない、救われるためには死の淵に立たねばならないように思えた。

 しかしその次の瞬間には、ウエイトレスがこの“間抜けな少年“が牛乳パックに印刷された写真の子どもであることに気づき、ウエイトレスがそれに気づいたことに写真の子どもを“誘拐”した母親が気づき、慌てて少年を車に押し込みハイウェイに乗って逃げた。

 

 再びあてどもなく車を走らせ夜の真ん中の地の果てまで逃げた母親は、少年に古代ギリシャの伝説にある恋人たちの真似ごとの相手をさせた。

 母親は、ハイウェイの売店で買ったスプレー缶の噴出口を人差し指で押さえ付けて黒い塗料をシュウシュウ出しながら、このエキセントリックでくだらない真似ごとの大いなる意義を弾丸のように少年に浴びせ聞かせる。半裸で身を震わせている少年をヘッドライトの眩しい光の前に立たせ、背後の絶壁に映る少年の影をなぞり、シュウシュウシュウシュウ音を立てて、スプレー缶を握る手を忙しなく動かしながら。

 古代ギリシャコリントスの町シキュオンの陶器師の娘が、海外の戦地へ旅立つ青年との別れを悲しんで、ランプの光で壁に映し出された恋人の影をなぞり形見を残した。それが大いなる芸術、絵画の始まりだという。

 

 こうして母親と少年のシンボルが生まれた。離れて立っている距離の分、少年の影は実物よりはるかに大きく映っていた。母親はこの馬鹿馬鹿しいシンボルを描きながら、少年に栄光に満ちた未来を約束する

少年は、いつの日か、母親がスプレー缶の黒い塗料でシュウシュウ描いたこの馬鹿馬鹿しい“シンボル”の輪郭のとおりに成長すると。

 

「あなたはいつの日か、私が教えたすべてを人々に教え、人々を幸福と平和の手に返し、あなたはいつの日か、人々を救う医者になり、人々の尊敬を受けるようになる」「いつの日か、私たちの努力は報われることになる、保証するわ」と。

 

 愚かな少年は、イースター・バニーやサンタクロースを信じなくなってからも、ずっとこの母親の言葉を信じ続けた。起こり得ない、あり得ないことであってもそれが約束されていると信じることができた。

 

 何年かして少年は猛勉強のすえ医科大学に入学したが、母親は一世紀前までは修道院だった精神病院、月三千ドルもかかる耐逃亡設備完備の聖アントニー・ケアセンターに入院した。

「トリクロロエタンが、大脳皮質や小脳の邪魔な機能を取り除き頭の内側で生きる複雑さを解消する、知識への最良の治療薬よ!」分かり難いが要するに、脳幹だけを使うことを人生最大のゴールとした母親。海綿は、決して不愉快な一日を経験しない。

「私のゴールは、人々の興奮のエンジンになること!」と、LSDをのっけるために付けている舌で更生の見込みのない台詞を判事に向かって言った母親。

     「親であることは、大衆向けのアヘンね!」

 

 そうしたゴールを目指した結果、精神病院にゴールした母親の入院費用月三千ドルを稼ぐために、医学部二年、二十四歳で少年は大学をやめた。

 “愚かな少年時代”を過ごした彼は、そのまま時を止めて、永遠にその場にとどまろうとした。ドリアン・グレイとその肖像画のように。

 
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映画「ドリアン・グレイ/美しき肖像」1970年/原作 オスカー・ワイルド

ドリアン・グレイを演じるヘルムート・バーガー

地獄に堕ちた勇者ども(1969年)」で組んだルキノ・ヴィスコンティ監督は尊敬する師であり、恋人でもあった。

 

 訪ねて行けば、何時でも痴呆症の母親が逃げ出さずにいる脱走不可能なアルカトラズ、聖アントニー・ケアセンター。80年前の幼児期に受けた性的トラウマに囚われて時を止めた入院患者たちと一緒に、同じ時刻、同じ曜日に、同じ夕食メニュー、過去を繰り返し、繰り返し

 彼は、母親が死ぬことも回復することも許さない。母親が死んだら、取得単位の有効期限が切れる前に医学部に戻りたいか戻りたくないかも、彼にはわからない。

 今、母親は彼のものだ。死んだり回復したりして逃れさせたりしない。彼は、彼を必要とする人間が一人欲しい。それが母親を寝たきりにしておくことを意味するとしても、彼は、彼がいなくては生きていけない人間が一人欲しい。一度だけのヒーローではなく、継続的な、誰かの救世主でありたい。

   「お母さまを弱いままにしておきたいのね。

        あなたがいつでも支配していられるように」

   「神になりたいと言っているように聞こえるわ」

 

 これから先に起こり得る取り返しのつかない方向に転がりかねない全てのこと、気楽でいられなくなる以上のことを知ったら、人生は生きるというより待つものに変わる

 彼の頭はその考えに囚われた。癌や痴呆や老化、取り返しのつかない出来事のあれこれ、いずれやって来る死。医学部を二年で退学した彼は、その間に得た知識が頭で肥溜めを作ったために、その恐れに囚われている。愚かな少年時代に母親から約束された栄光に満ちた未来、医学部の学生であったという過去に永遠に囚われている。頭の内側が抱える病、知識への治療薬。

     「いったい、どこまで恐がればいいわけ?」

 それを肥溜めの中で待とうが待つまいが、いまより若くなることはない。不運は巡ってくるし、歳は勝手にとっていく。

 

 彼の職場は三世紀前の植民地時代のダンズボロ。清教徒緋文字と魔女の火あぶりの時代の村で、彼はアイルランド系移民の年季奉公人に扮して、時給六ドルで働いている。仕事仲間は大勢のありふれた演劇部タイプ。ヒッピーかぶれの麻薬常用者たち。

 現実社会ではまっとうに生きていけない変人たちが、負け犬集団となって隠れ住む場所。強迫的な集団行動で救済を見つけようとしている18世紀を、権力と恥辱のゲームで再現している。

 

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    ナサニエル・ホーソーンの小説「緋文字」

  写真はヴィム・ヴェンダース監督の映画(1973年)より

 

 彼の親友は、毎日、同じ時刻にさらし台にくくりつけられ、課外学習で見学に集まった小学生達に笑われている。親友とは、いつまでも、この糞・Shitな職場について同じ文句を言い続けたい。それが彼の日々の慰めになっているので、親友だけが先にこの糞ダンズボロから追放され、それを見送って一人ぼっちで置き去りにされたくない。だから彼の親友がこれからもずっとさらし台から逃れられず身動きが取れないように、彼は彼の親友の親友として見張っている

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 彼は我を永遠に崇めよと求める救済者彼は我が子が大人になるのを望まない親だ。

 ここにいれば、永遠に登場人物の年齢と設定は変わらない、不自然な永遠に囚われたビューティフル・ドリーマー涼宮ハルヒの終わらない8月。

 一つの場所に永遠にとどまるには、時間を止めること。過去を忘れ、過去を繰り返すこと。

 

 以前から噂だけ耳にしたことがある人々。世間があきれたジョークだと笑う人々。世間が都市伝説と信じている人々。性的強迫神経症患者。セックス依存症。セックス中毒者。

 こうした人々は我々が日常的に微笑みながら握手を交わす大勢の中に実在する。”間抜けな少年時代“を送った彼もその一人だ。

 偶然でランダムな災害や病気がいつ誰の身にふりかかるかわからないこの世界で、中毒者は自分を待っている運命、全く予想外の原因で死ぬ恐れから、中毒が中毒者を守っている。ある意味で中毒者であることは、きわめて前向きな生き方だと彼は思う。

 中毒者は、酔いやハイや空腹以外は何一つ感じないまま生きて行くことがある。何一つ関心を持たないことが悲しみや怒りや恐怖や不安や絶望や憂鬱から中毒者を守っているので、中毒は現実味のある選択肢だと彼は思う。その瞬間をやり過ごす。衝突を避ける。逃げる。人生を乗り切るのに似ている。

 セックス中毒者は、セックスの中毒者なのではなく、行為によって体内から分泌される脳内モルヒネと呼ばれるエンドルフィン、危険や恐怖を引き金に全身に放出される神経伝達物質ペプチドフェニルエチルアミンを渇望している体内麻薬中毒者だ。

 その数分間は、彼が人間らしくいられる短い数分で、この短い数分の間、彼は孤独を感じない。しかし短い数分間が終わると、互いを憎み、それ以上に自分自身を憎む。アルコールもドラッグも過食も賞味期限が切れれば、腐臭が漂う自分自身を憎む。

 数分間の体内麻薬分泌後には、自分自身を憎む、孤独で長い時間が中毒者を待っている。

 

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『チョーク!』 彼の救難信号痴呆症の母親の入院費用三千ドルを稼ぐためを言い訳にした、“間抜けな少年時代”を送った彼が身に付けたサインランゲージ

 レストランでコーンドッグやステーキ肉の大きな塊を喉に一気に詰め込み窒息して人類共通のボディ・ランゲージで救いを求めれば、仁慈と憐みを必要とする者を誰彼問わず助けて愛するように命じられた隣人、右や左のテーブルに座っている善きサマリア人が彼を助けてくれる。

      「おまえがこれをやるのは幼稚だからだ」

 善きサマリア人たちに少額ずつ金を出してもらうねずみ講。“間抜けな少年時代”を送った彼独自の生活保障制度

 命を救ってくれた人物は、彼に手紙を書く。バースデー・カードを送る。つつがなく暮らしているか知りたがり、電話をかけてくる。いったん命を救った相手にはこの先の年月永遠に責任を感じ、励ましや、現金が必要ではないか、それを知りたがる。必要なら小切手を届ける。コーヒー1杯のお金で外国の子ども一人の命を救うチャリティのパクリ。但し一度だけでは他人の命は救えない。人々は繰り返し繰り返し、彼を救わなくてはならない。

 弱いふりをすれば、力を得られる。そのためには、か弱く、感謝に満ちていればいい。社会の弱者、虐げられた民であり続ければいい。積極的な犠牲者、無惨な負け犬、プロの敗残者であらねばならない。ただ打ちひしがれ、恐縮し、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。一生ずっと人に言い続ければいい

 

   「僕は知ってるんだよ。僕はイエス・キリストだって」

 彼は、自分がどこから来たかを知りたかった。彼をこの地上に目掛けて発射した偉大なる父、包皮の持ち主のことが知りたかった。拒食で痩せこけた痴呆症の母親が、文字どおり軽く小さくなって目の前から消えかかっている今、父親を知ることが彼には必要だった。

 大学へ入るためにイタリアからアメリカへ渡り、彼が生まれたあと二度と帰らなかった母親が、イタリア語で綴った赤い表紙の日記。そこに彼の知りたい全てが書いてある。おそらく母親はイタリア系カトリック。そのお相手、彼の創造主である父親は誰なのか。

   「三位一体を信じるなら、あなたがあなたの父親よ」

 父と子と精霊。アントニー・ケアセンターの女医、ドクター・ペイジ・マーシャルが、彼にそう告げた。ペイジ・マーシャルは、イタリア語で書いてあるため彼が読めない日記を彼のかわりに読んで、そう告げた。母親の妄想は深くて、彼のことをキリストの再来だと心から信じているという。

 日記によれば、母親はイタリアから渡ってきたとき、すでに彼を妊娠していた。それはイタリア北部の教会に誰かが侵入し、宗教的遺物を盗んだ翌年だった。

 イエス・キリストの包皮、乾燥ペニス。日記によれば、六人の女性にこの遺伝物質から作られた胚が提供された。六つの胚のうち、唯一出産に至ったのが彼だという。

 聖アントニー・ケアセンターの女医、ここで神に告白すると真実は精神病院の女医に扮しているドクター・ペイジ・マーシャル、彼女が教えてくれた如何ともし難い自分の出生の秘密を聞いてしまってからというもの、彼は懸命になって自分が神の子ではないことを証明しようとした。そもそもする必要などまったくない証明のために、彼は今まで以上に馬鹿馬鹿しい行為にいっそう力を注ぎ込んだ。

       「イエスなら、何をしないか」

            なぜ?

 彼は信じた。なぜなら、“愚かな少年時代”を過ごした彼は、起こり得ない、あり得ないことを信じることができた。信じることができてしまうのだ。

 

 奥まで入り過ぎて彼の肛門から永遠に出られなくなった2つのゴムボール。

       「イエスなら、これをしない」

 お見事。神の子ではないことを証明するためにシコタマ励んだ行為の成果がそこにあった。

 こんな大笑いで間抜けな腹痛の原因を抱えた彼は、もう充分に、神の子ではない証明を体現できていた。セックス中毒者の都市伝説をこしらえて。

 しかし、それでも彼はまだ、あり得ないことをあり得る、不可能は可能である、と信じることができた。

「イエスは、失敗だらけの少年時代を過ごしたあと、ようやく初めて奇跡を正しく行えたのだとしたら?」

「イエスは三十歳を超えて初めて、有名な奇跡をやすやすと起こせるようになったのだとしたら?」

 老いた痴呆症の母親の死が免れないなら、父なるエスの包皮を信じるまでだ。難解な三位一体、人々から救済を乞われる神そのものになる

 たとえ母親が死んでしまっても、誰かから永遠に必要とされる存在になれる。

    「真実を言えば、僕は事実上、母のグリーンカードだ」

 

 やがて彼は、ドクター・ペイジ・マーシャルが医者ではなく患者だと知る。

「ドクターなのだ。遺伝学のスペシャリストなのだ。2556年から来たのだ」と彼女は言った。彼女が彼に話したことは、すべて彼女のでっちあげだった。

 彼の父は神の包皮ではない。彼は神の子ではなく、彼は神ではない。

 

 やがて彼は、彼を『生んだ』母親が彼を『産んでいない』母親だと知る。

「私はね、アイオワ州ウォータールーでベビーカーからあなたを盗んだの

と母親は言った。彼はイタリア系ですらない。

 

        彼はどこから来なかったのか、

     すべてが晒されたとき、奇跡は起こった!

 

『チョーク!』ケチャップの瓶の蓋を飲み込む。窒息する。

自分はどこから来なかったのか、知ってしまった彼の救難信号。幼稚な彼の緊急事態。

 

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      「イエスなら、何をしないか」

 彼を助け愛するよう命じられた善きサマリア人が、彼の腹に圧力を加える。善きサマリア人が彼の背中を叩き、彼の口からケチャップの瓶の蓋がポンッ!音を立てて飛び出す。すると彼の頭の肥溜めの栓もポンッ!と飛び出した。

 善きサマリア人が加えた圧力で彼の腸は暴発し、永遠に彼の腹の肥溜めに閉じ込められたままかと思われていた2つのゴムボールは彼の肛門からこの地上へと見事に発射され、それに続いて彼の頭の肥溜めと腹の肥溜めの中身が合流して勢いよく飛び出し、天上から地上へとばら撒かれた。

 こうして彼は繰り返し繰り返し囚われていた肥溜地獄から、2つのゴムボールに救われた。

 彼の頭の肥溜めは空っぽになった。たぶん、知ることは重要じゃない。

 

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館主 いとう がお待ちしております。

「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」~「孤島の鬼」「パノラマ島綺譚」「インスマスの影」

江戸川乱歩の小説をいくつか続けて読んでいると、それぞれの作品に登場する海岸線、孤島、岩壁、洞窟、蔵、古井戸、屋敷、屋根裏、蠢く虫、長椅子、街頭、車、曲馬団、見世物小屋、看板、そして世間に異和感を持って生きている人間たち(時には不遇者であり、時には性的倒錯者であり、時にはその生業が作家である)、それらすべてのものが一つの景色、一つの場所で、同居しているように思えてくる。

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丸尾末広 漫画「芋虫」「パノラマ島綺譚」より)

『この通りの角を曲がったところに車を停めて、誰かが息を潜めている!』『この叢の奥にある離れで、不遇な男女がむごたらしい日常を繰り返している!』『この屋敷の屋根裏や長椅子の座面や背もたれの内側に、きっと誰かが隠れている!』というように、近所を何周散歩しても、寝覚めが悪い幻想が繰り返されている感じだ。

 

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  映画「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」(1969年)  監督 / 石井輝男

「孤島の鬼」「パノラマ島綺譚」をはじめとする、数々の江戸川乱歩の怪奇幻想小説映画『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間は、石井輝男監督が臆することなく自由な閃めきを次々とスクリーンに連写して、これら江戸川乱歩作品に蠢く“文学的グロテスク”を一本の映画に集結させている。

 

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日本海のとある町。沖合に浮かぶ孤島。とある町の名士であり、孤島の主である男は、生まれつき手に蝦蟇のような水掻きを持っていた。そのため人目を避けて、男は無人の孤島に移り住んだ。

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町の名士である彼は、莫大な資金を投じてその孤島に狂気の楽園を創り上げていた。閉ざされた孤島の住人は、人間も動物も混ぜこぜに、頭・手足・胴体をバラバラで不規則に継ぎ接ぎにされ、奇妙で名状しがたい、さながらサファリパークのような島で彼に ”飼われて” いた。住人たちは飼い主である彼に服従し、島中で妖しい大曲技団となってカーニバルを繰り広げているのだった。

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     丸尾末広 漫画 「パノラマ島綺譚」より )

 

この島は、健常者たちの偏見や嘲笑に対する、また生涯ただ一人純粋に愛し憧れた妻の残酷な裏切りに対する、彼の深く哀しい怨恨と復讐、そしてひとときの癒しをかなえるための ”夢の島“ だったのだ。

男は最期に、妻に「ゆるす」と言い遺し事切れる・・・。

 

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丸尾末広  漫画「芋虫」より )

 

屋島は全島が岩でできていて、青いものはほんの少ししか見えず、岸はすべて数十尺もある断崖で、こんな島に住む人があるかと思われる場所だ。

断崖の裾が海水のために浸蝕されてできた「魔の淵」という奥行きの知れぬほら穴の中に、魔性のものが住んでいて、人身御供を欲しがるのだろうという伝説がある。

江戸川乱歩「孤島の鬼」より )

 

乱歩の孤島の物語は、世間から忌み嫌われて孤立した港町 = インスマスの町 の住人たちを私に想い起こさせた。

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インスマスの港から遠い沖合に頭をもたげた暗黒の火山島、通称「悪魔の岩礁」。

その岩礁の暗黒の淵、深海にある巨石で造られた古代の街に住む両棲類、形容するなら、蛙に似た魚・魚に似た蛙の化物、その “深きものら”は地上に種族を広げるために宝飾品と豊漁の対価として人身御供を求め、やがて生まれた混血児 の末裔が、インスマスの住人たちなのだ。

インスマスの町の住人の身体の形は、人間に似ているが色は灰緑色に光ってつるつるしていて、背には鱗がある。頭は魚の頭で頸には鰓(えら)があり、長い前足には水掻きがついている。二本脚であるいは四つん這いになって、とび跳ねる名状しがたい魚蛙の姿をしている。

(H・P・ラヴクラフト作「インスマスの影」より)

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      ( 田辺剛 漫画「ダゴン」より)

 

私の妻の右側の腿の上部の所に、恐ろしく大きな傷の痕がある。そこには不規則な円形の、大手術の痕かと見える、むごたらしい赤痣があるのだ。

それはちょうど、そこからもう一本足がはえていて、それを切り取ったらこんな傷が残るだろうと思われるような、なみたいていの異変で生じる傷口ではないのだ。

江戸川乱歩 「孤島の鬼」より)

インスマスの影」で、”深きものら“ は “人魚” の伝説の元になっているのではないか、と老人が話すくだりがある。

ならばいっそ、これに倣って

「彼女の腿に遺っている傷痕は、人魚の尾びれを切り取った跡なんだよ」と言えば、凶々しい過去の出来事が、やがて美しい伝説として子孫に語り継がれるかもしれない。

 

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「私はゾンビと歩いた!」~「わが馬よ語れ」 ヴードゥーの神々

ヴードゥーの神々は、奴隷船に乗せられたアフリカ各地の黒人の民たちと共に、カリブ海 西インド諸島に位置するハイチへやって来た。
アメリカ映画私はゾンビと歩いた!では、ハイチのヴードゥーは呪術によって人間から思考能力も言葉も奪い、肉体を魂の抜け殻であるゾンビにしてしまう邪教として描かれているが、美しい女性ゾンビと彼女を愛した男が共に死出に導かれてゆくラストは、南国の海の哀しげな美しさに、見事に溶け込んでいる。

 

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 映画「私はゾンビと歩いた!」(1943年) 監督 / ジャック・ターナー

この物語では、異父兄弟である二人の男性に愛される若く美しい白人女性が、熱病により心神喪失となり、夢遊病者のように歩くほかは感情も言葉も失い、死人のような表情で屋敷の塔に幽閉されている。

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彼女の夫である兄と彼女の愛人である弟、二人の父親は異なる。兄は、かつて先祖がアフリカの黒人たちを奴隷船に乗せ、この地で彼らを使役することにより富を得た、砂糖のプランテーションを継いでいる。弟は、愛する女が病に臥してから酒浸りの生活をしている。弟の父親はこの地で牧師をしていた。そして、二人の夫を亡くした母親は、島の診療所を経営している。

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ゾンビと歩いた“私”は看護婦として雇われ、カナダからハイチへやって来た。彼女はいつも物憂げで紳士的である兄を愛するようになり、彼を愛するがゆえに、彼の妻の“心の病”を治したい、と切実に願うようになる。

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しかし、危険なショック療法も効果がなく、責任を感じ思いあまった看護婦は、屋敷の女中が語るブードゥーの儀式に彼の妻と参列し、ブードゥーの神ダンバラーの力を借りて病を治そうと決意する。

 

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               ヴードゥーの神々」(原題 「わが馬よ、語れ」1938年)
                       ゾラ・ニール・ハーストン著 新宿書房

ヴードゥーは創造と生命の宗教だ。それは、命そのもの、人間そのものであり、太陽や水や他の自然の力を崇拝するものだ。
ある儀式で投げかけられる「真理とは何か?」この質問に豪華に着飾ったマンボ(女司祭)は薄衣を跳ね上げ、自分の創造の器官を見せてそれに答える。参列した男たちは女司祭の創造の器官にキスをするのが名誉なこととされている。
生命の根源を超える神秘はない。この儀式は、それこそが無限にして究極の真理であるということを意味している。
なぜなら、ロア(神々)の偉大なる長であるダンバラーが、彼らに真理と向き合うことを許したからだ。

この真理の儀式についての記述を読み、このように取り上げて書いていると、この儀式はとても端的で象徴的だが、下半身の話かつ自分が女なので、知らんぷりして無難にスルーしようか、と迷いが出てくる。それでもここに取り上げたのは、ブードゥーは「命そのもの、人間そのものである」というその眩ゆい躍動感に私自身が共鳴し、それを伝えたいと思ったからだ。

ハイチには、さまざまな場所で、さまざまな力を持つ神や女神、精霊たちが無数におり、すべてのロア(神々)の名前を知る人はいないが、二つの種類がある。
「良い」神々であるラーダの神々の長、ダンバラー・ウェイドー・フレダ・トカン・ダホメイは最高位の神で善いものすべての父である。ダンバラーは決して悪事をなさない。
他の神々は、ダンバラーの元へ行き、儀式を行う許しと力を受けなければならない。他の神々は、ダンバラーが力を与えなければ何もできない。それらの神々はダンバラーの眷族であり、パパ・ダンバラーは、偉大な力の源である。
「邪悪な」行いをするペトロ・ロアの長はバロン・サムディ(土曜日の神)、バロン・シミテール(墓地の神)、バロン・クロア(十字架の神)という三つの名前を持つ一つの精霊である。

最高位の神ダンバラーとその眷族であるラーダの神々は、高貴で純潔であり、人々のためになる善い行いしかしない。しかし例えば、ラーダの神々に病気を治してもらおうとしても、のんびりしていて即効性がなく力も弱い。
一方、ペトロの神々は恐ろしくて邪悪だが、ラーダの神々より力が勝り、素早い。ペトロの神々は邪悪な行いだけでなく、人々に善い行いもする。その力は強烈で、彼らは大量の薬を与え、素早い治療を施す。
だからペトロの神々は、何かを手に入れたいと望む、非常に大勢の人々から頼りにされている。

頼りにすると同時に、人々はこの強力なペトロの神々を非常に恐れている。
ラーダの神々は鶏や鳩しか要求せず、何かしてあげたからといって、将来見返りを求めることなどない。
一方、ペトロの神々は豚や山羊や羊を要求し、時には、墓から死体を取っていくことがあるという。ペトロの神々に何かしてもらうためには、約束の期限までに礼拝をすればよいが、絶対に約束を守らなければいけない。期限が切れると、ペトロの精霊が復讐を始める。
彼らは、自分たちの貸しを実際に返してもらう。まず一家の家畜が死に始め家畜が全部死んでしまうと子供たちが病気で死に、それでも礼拝が行われなければ、終には家長が死ぬ。
ペトロの神々との約束は、絶対に果たさねばならない。

映画「私はゾンビと歩いた!に登場するヴードゥーの神の名前、ダンバラー。このダンバラーは、純潔で高貴なラーダの神、ダンバラー・ウェイドーを示すものではないだろう。
なぜなら、看護婦と心神喪失の妻がホウンフォール(ヴードゥーの神殿)へ向かう道すがら、木の枝に山羊が吊るされている。ラーダの神が羊や山羊を生贄に求めるとは考えられないからだ。ホウンフォールのある十字路の入口は、人間の頭蓋骨で標してある。「墓地に住む神」バロン・シミテール、バロン・サムディ、「死神」を意味する。辿り着いたのは屋外の祭壇であり、ホウンフォールの内ではないことからも、ラーダの儀式ではない。

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人間の命を奪う力を持つという、ペトロ・キタ・セックの神々は数多くいて、ラーダの神々と同じ名前を一つ目に持っている。二つ目の名前に「ジェ・ルージュ(赤い目)」が付けば、ラーダの神ではない。
ダンバラー・ジェ・ルージュ、ダンバラー・ラ・フランボーは、ダンバラーの名前が付いていても、邪悪な力を持つペトロ・キタ・セックの仲間である。

ペトロの神々は、邪悪であると同時に人々の大病を治し、大きな力を与えてくれる。ラーダの神々の手に負えない大病を患った時には、ペトロが治療を引き受けて治してくれる。仕事や商売に幸運をもたらし、人々を守る力、大きな助力を与えて事故や病気、悪鬼や悪魔を遠ざけてくれる。
ペトロの神々は非常に役に立つので、多くの家族がペトロに礼拝の約束をして、健康や富や出世を祈っている。だから、フーンガン(ヴードゥーの司祭)は、この神々をしっかりと自分の支配下に置いておかねばならない。

ラーダの神々もペトロの神々も、人間にとって、どちらも必要で偉大なヴードゥーの神々なのだ。

非常に役に立つペトロの神々は、邪悪な力を持ち人々から恐れられる。それが人間の手によって悪用され、生まれたのが“ゾンビという犯罪”だろう。

ジョージ・A・ロメロの映画に出てくる「ゾンビ」は言わば完全な”物語”であり、みんなが知ってる“ゾンビという生き物たち“である。

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                       ジョージ・A・ロメロのゾンビたち

映画「私はゾンビと歩いた!のゾンビは、“ゾンビという犯罪”の一つであり“現実”の世界である。
このゾンビは一度も死んでいない、噛まれたわけでも噛みつくわけでもない、感染もさせないし、人肉も食らわない。
人肉を食べる、というのは食人族モンドングの子孫ともいわれるコショーン・グリやセクト・ルージュと呼ばれるハイチ国民から忌み嫌われ恐れられている秘密結社からイメージされているのかもしれない。これらはヴードゥー崇拝とは全く関係ない。
"私”と一緒に歩いているのは、熱病で心神喪失になった患者ではなく、家族の手にかかり、意志の力も言葉も奪われ無表情で歩くだけの人間=ゾンビ、にされてしまった犠牲者なのだ。

 

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カラフォーと呼ばれる十字路の番人の前を通る二人。
カラフォー=カルフールであり、バロン・カルフール(十字路の神)が彼に乗り移り、彼は神の「馬」となって行動している、ということになるだろう。神の「馬」は、教育が受けられないハイチの一般大衆である黒人が信仰するゲデという神を連想させる。ゲデの神は上流階級に対する社会批判に近いものであり、この神はアフリカから来たのではなく、ハイチの黒人に必要とされて呼び出され、根を下ろした神である。
ゲデは馬に乗るように人に乗り移り、その人間を通じて喋ったり行動したりする。乗り移られた人間は、自分では何もしない。神が去るまで、神の「馬」である。
おそらく、異父兄弟の母親が開いている診療所には、そうした信仰を持つ患者が来ているのだろう。来る患者たちは、上流階級である白人の診断より、神の「馬」の言うことに耳を貸す。彼女はその信仰を”利用“して、彼らに彼女が言うことを聞く耳を持たせたのだ。そう、彼女自身が「馬」となって。

プランテーションの所有者が、ボコール(呪術師)のところへ労働者を買いに来ると、ボコールは墓地から死体を取って来てよみがえらせて、売る。
または事業の成功や高い地位、大きな利益と引き換えに犠牲者を差し出す人身御供として。
死体を「つくる」のも「よみがえらせる」のも、ボコールである。
生きている人を仮死状態にする、そして秘伝の液体の一滴でゾンビにする。ゾンビとなった人は言語と意志を失う。これは、おそらく薬品の仕業である。
アフリカからもたらされた原始的な儀式の中に多くの科学的真実があっても、その処方は秘伝中の秘伝なのだ。
映画「恐怖城 ホワイト・ゾンビ」では、ゾンビたちと恐怖城に住むベラ・ルゴシが、ほんの一滴の薬を花にたらし、美女に嗅がせて観賞用のゾンビにしてしまう。

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          映画「恐怖城 ホワイト・ゾンビ」(1932年)  アメリカ映画

映画「私はゾンビと歩いた!の一家は、先祖から続く砂糖のプランテーションを所有している。
この一家にも先祖から縁のある、こうした秘伝の液体を悪用するフーンガンやボコールがいたはずである。
夫の弟と恋仲になり、家を捨てて駆け落ちしようとした妻。
兄弟が一人の女をめぐって争う姿を見かねた一家の母親が、何らかの手段で秘伝の液体を手に入れ、秘密裡に彼女をゾンビにしてしまい、病人として屋敷の塔に匿っていたのではないか。島で診療所を経営する彼女なら、秘伝の薬を手に入れることもできただろう。

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驚くべきことに、“私”とゾンビが二人で歩き、辿り着いたホウンフォールで待っていたのは、神の声となった彼女だった。かつて、この一家の母親は、二番目の夫が牧師でありながら、この宗派の儀式に参列していた。
彼女は扉の向こうから神に救済を求めに来た人々に語りかける。

            「悩める人はどこだ?」

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彼女がしていることは、墓地に住む神、バロン・サムディと同じ役割だ。バロン・サムディは「サ・ウ・ヴレー?」(何が欲しいんだ?)と言って自分の存在を知らせる。
バロン・サムディは墓地の絶対的支配者であり、墓を開き、死者を自分の命令に従わせることができる。バロン・サムディは病気を治す薬草や根のを知っており、種類や処方を指示してくれるので、人々からとても人気がある。
私はゾンビと歩いた!におけるヴードゥーは、性質のよく似た二つの神、ゲデとバロン・サムディが融合している感じだ。

キリスト教の牧師の未亡人でありながら、ヴードゥーの儀式に参列し、墓地の神の声を利用して診療を行う彼女は、家名を守るために秘伝の液体を極秘裡に使ってゾンビをつくり、匿った。
その借りは、絶対に返さねばならない。

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どの宗教の伝導者にも畏怖の力を利用したり、迷信によって悪事を行う者はいるはずだ。キリスト教よりも仏教よりもイスラム教よりも古い宗教である、“異教”ヴードゥーもまた同じであり、侵略や政治に利用され続け社会的混乱を招き、邪悪な呪術として世界中にその名が轟いてしまった。
しかし、21世紀になって、こんな楽しげなタイトルの本も出版されている。(^ ^)

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   「ダンシング・ヴードゥー  ハイチを彩る精霊たち」(2003年)
        文と写真 / 佐藤文則 凱風社

   パンテラダイムバッグ・ダレルもゾンビと歩いている!

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    ホワイトゾンビのバンドTシャツを着て『Walk』を演奏するダレル

 

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「バビル2世」横山光輝の世界を組み立てよう 飛べ、ロプロス!火を噴け、大蝦蟇!

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では、Furutaの食玩横山光輝の世界 彩色済みフィギュア全8種+?を組み立ててみよう。

 

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鉄人28号(白黒版)。なぜか両股が大きく開いているが、開かないと胴体をはめられなかった。ハシタナイのでやはり股間は閉じていた方がよい。

しかし、股間からジェット噴射が見え、なかなかの迫力が出た。

 

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バビル2世の三つのしもべの一つ、ポセイドン。悠然と海を行くポセイドン。そして、こっそりと岩礁に隠れるポセイドン。

 

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 「鉄人28号ブラックオックス。  「マーズ」ガイアー。

 

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   「ジャイアントロボ。   バビル2世

ジャイアントロボは、前の持ち主さんが上手に組み立てた状態で箱に入っていた。ぶきっちょな館主の手に掛からずに済んだ、ラッキーな奴だ。

 

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鉄人28号鉄人対モンスター。 鉄人28号(後期版カラー)。

どうやってもモンスターの肩がはまらず隙間ができた。こっちの鉄人は両股を閉じて胴体をはめることに成功。

 

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    全8種+?の正体は、「仮面の忍者 赤影」

 

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  「仮面の忍者 赤影」第48話 魔風編 : こども忍者術くらべ

東映京都の特撮テレビ番組「仮面の忍者 赤影」(1967年4月〜1968年3月放送)金目教編、魔風編に登場する怪忍獣「千年蟇・大ガマ」「巨竜」は、東映京都が先に制作した映画「怪竜大決戦」(1966年公開)に登場した「大蝦蟇」「大竜」が受け継がれた素晴らしい怪獣キャラクター。

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  松方弘樹は「蝦蟇(ガマ)(がまがえる・ひきがえる)」

 

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    大友柳太朗は竜。”大魔神“風、大竜の眼力!

 

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映画「怪竜大決戦」はポスターを館の壁に貼るほど、館主は好きな作品なので、キャラクターの流用と言うよりは、「赤影」で引き継がれ愛され続けているのが嬉しい、と言いたい。

 

ここで一服。新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、館主(地球人)と怪獣ペギラヒッポリト星人、種の異なる3人で休憩だ。

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お茶請けは、丼いっぱいの古漬けになった酸っぱい白菜。一週間前と比べると、酸化のせいか白菜が変色し、’白‘という色の枠からはみ出し始めている。きっと植物性乳酸菌が100億個以上増えているに違いない。

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休憩時間のヒーリングに、CD テレビアニメーションドラマシリーズ「バビル2世を流してみたが、場にそぐわずどうも不自然だ。それよりも、一体いつ誰がどこでどうして踊ったのか知らないが、CDラジカセに入っていた「レッツ・ダンス ルンバ専科」の方が、ペギラもヒッポリトも気に入ったようだ。

 

しかし、怪獣や宇宙人との間で新型コロナ感染例は報告されていないとはいえ、油断は禁物だ。バビル2世」の宿敵「ヨミ」は、感染すると異常な能力を得る宇宙ビールスを悪性の風邪のように広め、超人集団と化した人間たちをコントロールし、世界を征服しようと目論んだのだ。

でも大丈夫(^^)、宇宙ビールスのワクチンがニンニクエキスだということを、バビル2世は知っている。

 

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      漫画「バビル2世 作: 横山光輝

  開いた頁を押さえているのは、黒い靴下を履いた館主の両足。

 

五千年前、一隻の宇宙船が地球に不時着した。乗船していた宇宙人バビルは、仲間に居場所を知らせるため、その地の支配者ニムロデ王に依頼し、天まで届く巨大な塔を作らせた。しかし塔はその地の領民による過失事故で崩壊し、計画は失敗に終わった。

地球に取り残された宇宙人バビルは失意の底で地球人として暮らし、地球人と結婚し、その血を残す。

何百年何千年の時を経てその血が世界中に広がり、遥かな未来に出現するであろう、自分と同じ血、知力、体力、そして超能力を受け継ぐ子孫「バビル2世の誕生のために。

そして、地球人の叡智を超えたコンピューターに守られ続ける“バビルの塔”と、どんな命令にも忠実に従う“三つのしもべ”を、やがて誕生する「バビル2世」に受け継がせること、それが宇宙人バビルの唯一の希望であり、幸福だった。

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         バビル2世の三つのしもべ

「怪鳥ロプロス 空を飛べ! ポセイドンは海を行け! ロデム変身 地をかけろ!」

 

バビルの子孫である浩一少年は、自分こそが選ばれし者「バビル2世」であるという気づきの時を迎え、バビルの塔と三つのしもべに守られながら、世界征服を目論む宿敵「ヨミ」と壮絶な戦いを始めることになる。そして宿敵「ヨミ」もまた、浩一少年と同じくバビルの子孫であり、超人的な能力の持主なのだった。

 

「ヨミ」は、浩一少年より早くこの世に生を受け、バビルの子孫としての能力を持ちながらも、「バビル2世」としてバビルの塔のコンピューターに選ばれなかった。

ヨミではなく、なぜ浩一少年が「バビル2世」に選ばれたのか?

 

二人の持つ超能力は、強大なパワーを使えば使うほど、激しく体力を消耗し、終には老化し朽ち果てるまでになる。それは二人に共通した弱点だ。

ただし、「バビル2世」浩一少年には、相手のパワーを吸収する能力があり、ヨミにはその能力がない。

ヨミは宇宙人バビルの血が持つ能力を、地球で世界征服を果たすために使う。

そして「バビル2世」となった浩一少年をその野望に取り込もうとするが、浩一少年はヨミの誘いを断り、ヨミの敵として世界征服を阻むためにその能力を使い戦う決意をする。

地球人の都合では一見、ヨミが悪で、「バビル2世」が正義の“味方”だ。

 

しかし、このような点は、“バビルが求める「バビル2世」の条件”として全く重要ではないと感じる。

そもそもバビルは、世界の平和や人間を守るために地球に来たわけではない。事故で地球に不時着し、不幸にも故郷の星に還れなくなっただけなのだ。

その上、バビルは地球人を所謂、能力の劣る下等な生物として見ており、その生活ぶりを疎ましく思い、自分は「不幸だ」と感じながら生涯を終えたのだ。

その無念を晴らすために、バビルは死後(消滅後)何千年にも渡って「バビル2世」の誕生を待ち望んだのだ。バビルは自分のコピーを遺し、自身が使うことができずにいたるべき能力を最大限に託したかったのであって、その思いは、世界の平和を守るためではなかったと思う。

バビルは「どのようにその力を使おうと、バビル2世の自由」と言い遺しているのだ。

 

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「あの少年は神の使いなのか、それとも悪魔の使いなのか」

「わたしも同じことを考えました」

「まさかあれだけの攻撃をうけ、やつにはまだ逃げる力が残っていたのか。そうだとすれば、やつは神か悪魔だ

                         

なんという、おそろしい少年でしょう

「そうなんだ、わしにとっても、あの少年がこの世でいちばんおそろしい

 

“正義の味方” バビル2世は、神の使いか悪魔の使いかわからない、この世でいちばんおそろしい少年なのだ。

 

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バビル2世「あなたはここにいてください、足手まといになりますから

     「そうだコンピューターが教えてくれたっけ

                      やつらには力を合わさせずに戦わなければならない」

     「そうだ、その調子でつき進み、ふみつぶせ

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 ヨミ 「やつとは一対一で戦うな、一対一なら勝ち目はない

 

ヨミはいつでも部下を率いて共に戦いを挑む。

バビル2世は人間の力を信用しない。一人で戦い、頼りにするのはコンピューターと三つのしもべだけだ。

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   ヨミ 「お前たちは地球上の人間のことをよく知らんらしいな」

      「地球上では人間は万物の霊長といわれる

                 その万物の霊長たる人間が畜生と手が組めるか

      「わしは死んでも従わん人間としての誇りは捨てんぞ

 

バビル2世もヨミも、宇宙人であるバビルの血を受け継ぐ子孫だ。

しかし、ヨミは「人間」なのだ。

下等生物である「人間」が、後継者としてバビルに選ばれることはない。

 

ロプロス、ポセイドンの二つが命令に従うだけのロボットであるのに対し、三つのしもべの一つ、ロデムは意志の疎通、助言ができるスライム状の不定形生命体である。どんな姿にも変身でき、普段は黒ヒョウの姿でバビル2世の側近として仕えている。

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ロデムはクトゥルフ神話に登場するショゴスのようだ。

ショゴスは、大昔に地球に来た「古(いにしえ)のもの」が、奉仕種族として創造した生命体

ショゴスの細胞を元に、人類を始めとする様々な動植物が地球上に誕生する事になったとされている。

                                      

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                             “ 名状しがたい”ショゴスの姿

 

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南極のペンギン、北極のインド人、奄美の画家、虎と対決したのは倉田保昭だけではない

 虎と戦ったのは倉田保昭だけではない。

空手、つまり素手で虎と対決した男、「和製ドラゴン」倉田保昭

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「武闘拳 猛虎激殺!」(1976年 東映 主演/倉田保昭 監督/山口和彦)

倉田保昭が敵陣を破りながら城の天守閣まで登りつめ、大ボス”ベンガル虎”(本物)と対決する。

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矢吹二朗・別名義を千葉治郎(得意技は空中二段蹴り・千葉真一の弟・仮面ライダーではFBI捜査官)。彼のしなやかに鍛えられた武闘拳は、本作品の見どころだ。

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そしてもう一人。木刀一本で虎と対決した男、「ゴルゴ13高倉健

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          「空中サーカス 嵐を呼ぶ猛獣」(1958年 主演/高倉健 )

本作品の“大どんでん返し”は、高倉健が対決するのは映画のチラシにある虎ではなく、ライオンだったことだ。これでこのチラシは二度おいしくなったわけである。

実は館主、途中から気付いていた。空中ブランコ乗りの高倉健が所属するサーカス団の檻の中には、ライオンはいても虎は見当たらなかったからだ。

そして別の意味で、このシーンが楽しみになりワクワクしてきたのだった。

期待どおりライオンが檻から出て来た。「いいぞいいぞ!」と腰の高さで小さくガッツポーズ。

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                 「あれ、虎じゃないの?」

空中ブランコ乗りに扮してタイツ姿を披露してくれた、健さんのエッセイ「南極のペンギン」。

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              「南極のペンギン」高倉健 著 / 唐仁原教久 画

 

南極のペンギン

子供を産むために、夫婦で巣づくりをしているペンギンの群れ。

メスのまわりに、集めてきた石を積むオス。

巣づくりの石一つにも、いいかげんなやつ、こだわるやつ。

石の取り合いをしてケンカっぱやいやつ。ひょうきんなやつ。

その様子は人間とそっくりで、”命って、似ているのかなー。不思議だなー。”

と、健さんは飽きずにペンギンを見ていたそうだ。

生きものって、みんなかわいい。(^^)

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北極のインド人

北極での撮影隊に着いてくれた現地のガイドさんは、なんと南国生まれのインド人、ベーゼルさん。ベーゼルさんは、きびしい北極の自然のなかに移り住み、思った。「ここに住むと、人間を信じることができる」

北極の自然はきびしい。みんなが力をあわせないと生きていけない。命のかかわることが、たくさん起きるからだ。おたがいを信じあい、助けあいながら暮らしている。

健さんはたくさんお金を持っているのに、なぜそんなに働くの?」

ベーゼルさんはカナダの北部に広大な牧場を持っている。そこには暖炉で燃やす薪がとれる森がある。魚がとれる川もある。それさえあれば生きていける。年をとって北極のきびしい自然がつらくなったら、牧場でのんびり暮らすのだという。自分が住みたい土地を、生き方を、自分で決めている。

そんなふうにベーゼルさんの生き方をうらやむ健さんは、お金持ちになっても生涯俳優であり続けた。健さんも、生き方を、自分で決めている。

ベーゼルさんは年をとる前に、北極で亡くなってしまった。牧場でのんびり暮らす年になる前に。

人生の時間には限りがある。どこかに終わりが待っている。

よくてもわるくても、誰でも、今日を、生き方を、自分で決めている。

なるべくよい今日、そしてまた明日は、なるべくよい今日を。今日を繋ぎ続けて、なるべくよい場所にたどり着きたい。どこかに着けたらいいなぁくらいに、期待し過ぎず軽やかでいたい、と思う。今日はこれからスーパーで買ったハタハタの干物を焼いて食べよう。(^ν^)

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奄美の画家

むかし奄美の病院に、家族とはなれて療養している少女がいた。会えないお母さんの写真を毎日ながめて泣いていた。

時間がたって写真は色あせていき、大好きなお母さんの顔がどんどん消えていった。やがて少女の記憶のなかのお母さんの顔までが消えそうになり、少女はなげき悲しんだ。

その奄美の病院に、ひとりの画家のおじさんがよく来ていた。おじさんは病院で患者さんや家族の似顔絵を描いて、お礼に少しのお金をもらっていた。そのことを少女もよく知っていた。少女はお金を持っていなかった。

ある日悲しそうな少女に出会った画家のおじさんは約束をした。「おじさんがお母さんの顔を描いてあげよう。お金はいらないから、そのかわり、きみは病気をなおして元気になるんだよ。それがおじさんへのお礼だよ。」

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画家の名は田村一村。五十歳を過ぎて千葉から奄美に移り住み、最後の絵を描くためにプライドと貧しさだけを糧に命を削りながら絵筆を握り続けた。結局、一村は生涯ただ一度の個展もできないままに世を去った。後に奄美の友から発信された彼の絵と不器用で壮絶な人生は、テレビ番組や映画、本になるほど有名になった。

幼少から天才と呼ばれプライドが高く人見知りで、不器用な回り道を選択し続けた田村一村。

彼はもういないが、今も大勢の人たちが、彼の生き方に惹かれ、彼の絵に魅せられ続けている。生きているうちに一度も開けなかった個展が全国でばんばん開かれている。

そこで人々が求めるものとは、いったいなんなのだろう?(^_^*)

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                「アダンの画帖 田村一村伝」 南日本新聞社編

南極のペンギン、北極のインド人、奄美の画家。

みんな、それぞれの場所で生きている。

 

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今日は13日の金曜日、今は次の13日で日曜日

今日は11月13日の金曜日館主の誕生日である。
あっという間に、ブルース・リーより21年も長生きしてしまった。
半生というにはいささか長いこの歳月を振り返り、「ワインをガブ飲みすれば便秘を解消できるが、それは麦茶でも可能である」と時の重さを噛みしめている。

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     辣油に稽古をつけるブルース・リー先生

この写真を撮った時間は偶然、11月29日の11時29分であった。
つまり、すでに今日は13日の金曜日ではなく、29日の日曜日なのである。
13日に最初の一行をしたためて以来、半月が経ってしまった。
だが、気にすまい。
たとえその日が13日の金曜日じゃなくても、たとえそこがクリスタルレイクのキャンプ場じゃなくても、いつでもどこでも全く気にせずジェイソンは現れて、マチェーテを振り回しているのだから。

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        館のジェイソンもマチェーテを振り上げている!(ネカのマニアック映画フィギュアシリーズ 13日の金曜日 PART7 新しい恐怖」1988年)

滅多刺しにされようが火だるまにされようが、迫撃砲で木っ端微塵に吹き飛ばされようが、不死身の殺人鬼 ジェイソン・ボーヒーズは湖底から棺桶から、時も場所も選ばず復活し、必ずまた現れる。
時には豪華客船でニューヨークへ行ったり、時には400年後の宇宙船に乗ったり、また必要とあらば人から人へ寄生し乗り移っていく。それがまるで「ジュラシック・パーク」みたいだろうが、まるで「エイリアン」みたいだろうが、まるで「ヒドゥン」みたいだろうが、そんなこたぁもぅどぅでもいぃのだ。

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         「13日の金曜日 PART8 ジェイソンN.Yへ」(1989年)
                    ジェイソン、豪華客船に乗る。

 

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ジェイソンX 13日の金曜日」(2001年)
       ジェイソン、宇宙船に乗る。館主はこのジェイソンが好きでフィギュアを買った。(マクファーレントイズ ムービーマニアックス)

 

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   13日の金曜日 ジェイソンの命日」(1993年)
      ジェイソン、人から人へ乗り移る。

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「ヒドゥン」(1988年)
人間に乗り移り、凶暴化し連続強盗殺人犯となったアルタリア星人は、ヘヴィメタルを轟かせながらフェラーリで大暴走する。

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        オハイオ出身の正統パワー・メタル・バンド SHOK PARIS
                        「 steel and starlight」(1987年)

そんなジェイソンも、初めからそのようなサイボーグやゾンビを凌駕するほどの“超・超人”ではなかった。生まれつきハンデを背負った弱々しい少年だったのだ。

それは1957年、13日の金曜日。クリスタルレイクのキャンプ場で、少年は湖で溺れて行方不明になり、誰もが死んだと思っていた。
しかしジェイソンは生きていた。母親の亡骸とともに、殺人鬼となってクリスタルレイクを守り続けていた。

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       まだ超人化する前のジェイソンは麻布の袋を被っている
                  (13日の金曜日 PART2」1981年)
布袋を被っていた“普通の人”ジェイソンは、やがてホッケーマスクを被り進化を始める。人を超え、サイボーグを超え、ゾンビを超え、魂にまで昇華した殺人鬼へと。

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    テーブルコショーに稽古をつけるブルース・リー先生

日付は12月13日の日曜日辣油に稽古をつけてから、また半月が経っていた。 

 

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