新橋人形の館 館主の日記

燃えサントラ&泣きロック酒場 BAR 新橋人形の館 館主の日記です。

南極のペンギン、北極のインド人、奄美の画家、虎と対決したのは倉田保昭だけではない

 虎と戦ったのは倉田保昭だけではない。

空手、つまり素手で虎と対決した男、「和製ドラゴン」倉田保昭

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「武闘拳 猛虎激殺!」(1976年 東映 主演/倉田保昭 監督/山口和彦)

倉田保昭が敵陣を破りながら城の天守閣まで登りつめ、大ボス”ベンガル虎”(本物)と対決する。

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矢吹二朗・別名義を千葉治郎(得意技は空中二段蹴り・千葉真一の弟・仮面ライダーではFBI捜査官)。彼のしなやかに鍛えられた武闘拳は、本作品の見どころだ。

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そしてもう一人。木刀一本で虎と対決した男、「ゴルゴ13高倉健

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          「空中サーカス 嵐を呼ぶ猛獣」(1958年 主演/高倉健 )

本作品の“大どんでん返し”は、高倉健が対決するのは映画のチラシにある虎ではなく、ライオンだったことだ。これでこのチラシは二度おいしくなったわけである。

実は館主、途中から気付いていた。空中ブランコ乗りの高倉健が所属するサーカス団の檻の中には、ライオンはいても虎は見当たらなかったからだ。

そして別の意味で、このシーンが楽しみになりワクワクしてきたのだった。

期待どおりライオンが檻から出て来た。「いいぞいいぞ!」と腰の高さで小さくガッツポーズ。

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                 「あれ、虎じゃないの?」

空中ブランコ乗りに扮してタイツ姿を披露してくれた、健さんのエッセイ「南極のペンギン」。

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              「南極のペンギン」高倉健 著 / 唐仁原教久 画

 

南極のペンギン

子供を産むために、夫婦で巣づくりをしているペンギンの群れ。

メスのまわりに、集めてきた石を積むオス。

巣づくりの石一つにも、いいかげんなやつ、こだわるやつ。

石の取り合いをしてケンカっぱやいやつ。ひょうきんなやつ。

その様子は人間とそっくりで、”命って、似ているのかなー。不思議だなー。”

と、健さんは飽きずにペンギンを見ていたそうだ。

生きものって、みんなかわいい。(^^)

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北極のインド人

北極での撮影隊に着いてくれた現地のガイドさんは、なんと南国生まれのインド人、ベーゼルさん。ベーゼルさんは、きびしい北極の自然のなかに移り住み、思った。「ここに住むと、人間を信じることができる」

北極の自然はきびしい。みんなが力をあわせないと生きていけない。命のかかわることが、たくさん起きるからだ。おたがいを信じあい、助けあいながら暮らしている。

健さんはたくさんお金を持っているのに、なぜそんなに働くの?」

ベーゼルさんはカナダの北部に広大な牧場を持っている。そこには暖炉で燃やす薪がとれる森がある。魚がとれる川もある。それさえあれば生きていける。年をとって北極のきびしい自然がつらくなったら、牧場でのんびり暮らすのだという。自分が住みたい土地を、生き方を、自分で決めている。

そんなふうにベーゼルさんの生き方をうらやむ健さんは、お金持ちになっても生涯俳優であり続けた。健さんも、生き方を、自分で決めている。

ベーゼルさんは年をとる前に、北極で亡くなってしまった。牧場でのんびり暮らす年になる前に。

人生の時間には限りがある。どこかに終わりが待っている。

よくてもわるくても、誰でも、今日を、生き方を、自分で決めている。

なるべくよい今日、そしてまた明日は、なるべくよい今日を。今日を繋ぎ続けて、なるべくよい場所にたどり着きたい。どこかに着けたらいいなぁくらいに、期待し過ぎず軽やかでいたい、と思う。今日はこれからスーパーで買ったハタハタの干物を焼いて食べよう。(^ν^)

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奄美の画家

むかし奄美の病院に、家族とはなれて療養している少女がいた。会えないお母さんの写真を毎日ながめて泣いていた。

時間がたって写真は色あせていき、大好きなお母さんの顔がどんどん消えていった。やがて少女の記憶のなかのお母さんの顔までが消えそうになり、少女はなげき悲しんだ。

その奄美の病院に、ひとりの画家のおじさんがよく来ていた。おじさんは病院で患者さんや家族の似顔絵を描いて、お礼に少しのお金をもらっていた。そのことを少女もよく知っていた。少女はお金を持っていなかった。

ある日悲しそうな少女に出会った画家のおじさんは約束をした。「おじさんがお母さんの顔を描いてあげよう。お金はいらないから、そのかわり、きみは病気をなおして元気になるんだよ。それがおじさんへのお礼だよ。」

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画家の名は田村一村。五十歳を過ぎて千葉から奄美に移り住み、最後の絵を描くためにプライドと貧しさだけを糧に命を削りながら絵筆を握り続けた。結局、一村は生涯ただ一度の個展もできないままに世を去った。後に奄美の友から発信された彼の絵と不器用で壮絶な人生は、テレビ番組や映画、本になるほど有名になった。

幼少から天才と呼ばれプライドが高く人見知りで、不器用な回り道を選択し続けた田村一村。

彼はもういないが、今も大勢の人たちが、彼の生き方に惹かれ、彼の絵に魅せられ続けている。生きているうちに一度も開けなかった個展が全国でばんばん開かれている。

そこで人々が求めるものとは、いったいなんなのだろう?(^_^*)

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                「アダンの画帖 田村一村伝」 南日本新聞社編

南極のペンギン、北極のインド人、奄美の画家。

みんな、それぞれの場所で生きている。

 

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