エイリアンエッグ 3Dポスター マクファーレントイズ
10年以上前、館で飾っていたものだが、電池で光るはずの卵が光らなくなり、
「とりあえず持って帰った」きり、この卵は孵化することもないままにある。
あらためて拝んでみると、「光らなくてもなかなかよいではないか!」
とおもい、館に復活させたくなった。
問題なのは卵ではなく、気まぐれな館主がちゃんと持ってって作業するかどうかである。
現在、館の壁に吊ってあるエディのラテックス製マスク。
(ヘヴィメタルバンド アイアン・メイデンのスコット・キャラクター)
このマスクにも早く解決したい問題がある。
以前、マスク後頭部のラテックスが裂けてしまい、「とりあえず糸で縫いつけた」のだが、もうそれも限界のようで、首がビロンビロンで、顔が奇妙にねじれて恐すぎる。
マスクの中に詰め物をしてから縫い直して首を固定させ、館が必要以上に恐がられないようにしたい。
(小説すばる 1994-1997)
「なぜ、登るのか」
「それがそこにあるからさ」 ジョージ・マロリー
(ビジネスジャンプ 2000-2003)
「何故、エヴェレストに登りたいと思ったのか?」
「それがそこにあるから」
イギリスの登山家ジョージ・マロリーが答えた「それ」というのは、この地上のどこよりも天に近い場所、8848メートル、世界の最高峰、エヴェレストの頂のことである。
「どの国が、一番最初に世界の頂上を踏むか」
北極点到達(1909年アメリカのロバート・ピアリー)、続いて南極点到達(1911年ノルウェーのアムンセン)の競争に敗れ、イギリスは大英帝国の威信を「第三の極地」世界の最高峰エヴェレストの征服に賭ける。
1921年、イギリスは人類初のエヴェレスト登頂を果たすため、第1次遠征隊を出したが登頂はならず、
1922年、イギリスによる中央アジア探検史の雄、C•G•ブルースを隊長とした第2次遠征隊も頂上は踏めなかった。マロリーは、この2回の遠征隊の両方に参加していた。
1924年6月、イギリスの第3次エヴェレスト遠征隊は、またもエヴェレストの頂上を踏めず失敗に終わった。
3回目の遠征となったマロリーは、パートナーのアーヴィンと共に頂上アタックに向かい、そのまま帰って来なかった。
エヴェレスト北東陵の上部、頂上直下8600メートル付近で行動する二人の姿。
二人をサポートすべく8230メートルの第6キャンプを目指していたノエル・オデルがそれを視認したが、二人の姿はそのまま頂上を目指したきり雲の中へと消えてしまったのである。
二人は帰って来なかった。何らかの事故に遭い、帰って来られなかった。
それは、登頂の前なのか、登頂の後なのか?
それから29年後、世界は大戦を経て1953年、初めてエヴェレストの頂上を踏んだイギリス隊のヒラリーとテンジン。
しかし、もしかしたら、それは一つの公式記録に過ぎないのではないか?
もし、マロリーとアーヴァンが頂上を踏んだ後に事故に遭ったのであれば、それは塗り替えられるべき歴史なのである。
『 俺を撮れ! 俺が逃げださないように・・・! 』
アニメ 神々の山嶺『Le Sommet des Dieux』 2021年 フランス
『 俺は「それ」があるから登るんじゃない。
俺が羽生丈二だから、登るんだ! 』
俺は自分をゆるさない。傷みを忘れて、休むことなどゆるさない!
山をやっていなければ、俺はただのゴミだ!
「一ノ倉の疫病神」ー 冬期の「鬼スラ」を攀じった天才クライマーでありながら、羽生丈二が登山関係者につけられた残酷なあだ名であった。
羽生丈二は6歳の時に両親と妹を失くしている。家族で南アルプスの山へ行った帰りのバスが事故を起こし、羽生だけが生き残った。
羽生の人生において、その初めての山行が、ただ一度だけの「楽しいと思った山」であった。
高校にも大学にも行かず、伯父の家を出て、アルバイトをしながら山に登った。
年に200日以上、山に入った。山に入るために山を下りて仕事をした。
羽生丈二は、人生の全てを賭して、山に登った。
そして1970年代、日本の山岳会が次々と海外遠征隊を組織し、また、スポンサー付きで海外の山へ単独行をするスターが生まれる時代になった。
「金があるやつしか、ヒマラヤへ行くことができない」
「無名じゃだめなんだ。誰もやらないようなことをやらなければだめなんだ」
冬の「鬼スラ」ー 谷川岳の一ノ倉沢にある巨大な一枚の岩。難所中の難所のスラブ。
冬には雪崩の巣となり、危険すぎて登攀の対象とはならない。
「冬の鬼スラ」は、誰もやらない。
1970年、羽生丈二は26歳、誰もやらない「鬼スラの神話」を作った。
名をあげたにもかかわらず、羽生丈二という個人にスポンサーは現れなかった。
1979年、スポンサーもなく、日本を発つときからたった独りで、モンブランの北東、グランドジョラス北壁冬期単独登攀を目指していた途中で滑落事故に遭い、
1985年、41歳でようやく大手新聞社がスポンサーについたヒマラヤ遠征隊に参加できたものの、エヴェレスト南西壁からの頂上アタックを目前にトラブルを起こして自ら山を降りた。
このヒマラヤの事件以後、羽生丈二は忽然と姿を消した。
己れの裡に秘めた、濃い感情。
怒り、不満、決意。
痛々しいまでに、己れ独り。
独り。独り。独り。
胸がひりひりするような、山。
死を見せられることで、生き抜くことから逃げられなくなる、山。
映画 『エヴェレスト 神々の山嶺』
『 俺を撮れ! 俺が逃げださないように・・・! 』
1993年、羽生丈二は生きていた。
ビカール・サン、ネパール語で毒蛇という名で呼ばれていた。
羽生が「生きている」ということは、羽生が現役で「山をやっている」に等しい。
誰にも証明ができないかわりに、誰かに出し抜かれることがない。
誰もやらないことをやるために、誰にも知られないように「生きている」。
12月18日 晴天
羽生丈二は、単独、無酸素で、エヴェレスト南西壁、頂上直下ウォールを攀じっていた。
人類の歴史上、これまで誰もなし得なかったことを、初めて成し遂げようとしていた。
頂上を踏んだかどうかは、自分だけの問題だ。
頂上を踏んでも、終わりなどない。
楽になるために わざと 落ちる、それだけはできない。
落ちるまで、また山をやる。その繰り返しだ。
死ぬときは、誰でも何かをやっている途上なのだ。
オデルは「自分は証言者として選ばれた」と言い、生涯マロリーとアーヴァンのエヴェレストについて語り続けた。
なぜのぼるのか。
おれにはこれしかないと、わかっている。
想え!
足も手も動かなければ、歯で雪をかめ。
歯もだめなら、目だ、目でにらみつけて歩け。
それでもだめで、これきり何もかもがどうしようもなくなって、
ほんとうにほんとうに、歩けなくなったら、
ありったけの心で思え!
想え!
ここの一節、泣けてくる。。 歩きましょう、皆さん!
そしてここにもう一つ、暑っ苦しい男の生きざまが!
(1994年 新装版 朝日ソノラマ)
表紙をトレーシングペーパーで包んでくださり、ありがとうございます。
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館主 いとう がお待ちしております